TOPと専門家 [講孟余話]

講孟余話 第2巻 梁恵王 下 9章

この章は、大変興味深い章です。
比喩として、
「宮殿をつくるのに、よい大木があったら、
 その大木を削り、宮殿をつくるのは、大工に任せるだろう」
「高価な玉の原石があったらならば、
 その玉を磨くのは、玉磨きの専門家に任せるだろう」
といい、
「しかし、国家のこととなると、それらの道の専門家を尊重せず、
 ”俺の言う通りにやれ”となる」
といっています。

言われればその通りです。ぐうの音も出ません。

確かに、TOPというのは、
その組織で起こること、すべてに精通している、ということはありません。
まして、国家、となれば、
それぞれに専門家がいるわけですが、
どうしても、その国、組織のTOPは、
「自分が思う通り」に進みたくなるものです。

たとえば。
社長が労務が考えだしてきた、労務対策について、
「それは違う、こうしなさい」
という。
しかし、社長は労務の専門家ではない。
だから、本来ならば、労務のことは労務に任せればいいのです。
でも、それが、現実の組織ではほとんどできない。

吉田松陰は、さっ記の中で、その理由を、
「TOPの私欲」としていますが、
もちろん、それも多いでしょうが、
現実面では、もう少し違った理由が多いように思います。

たとえば、先の労務の話ならば、
労務が、労基対策で、社員の残業代の削減と、残業代をさかのぼって支払うことが、
コンプライアンスの観点から、実施が必要と言ってきたとします。
それ自体は正しい。
けれど、社長からすれば、それはできない。
なぜならば、それは、今、そんなお金がない状態で、
労務上のリスクを背負っても、
今年一年は業績回復を最優先としなければならない。
そんなことだったとします。
この場合、問題点は、
「TOPと現場の専門家が同じ経営方針を抱いていない」
ということであり、
それぞれが、違った方向を向いて歩いている、ということです。

たとえば、経営会議で、労務についての方針をディスカッションし、
向こう3年間程度の方針を決めたうえならば、
このような話がないはずです。

ただし、実際の現実はもっと複雑で、
たとえ、上記のように方向性を共有しても、
組織やTOPへの帰属意識が薄いと、
表面上は理解していても、深いところでは反対、であったりすることがとても多いので、
TOPはすべてに介入せざるを得ない、という時が多いです。


この章で、孟子のいっていることはまさに正論で、
任せるべきところは、その道の専門家に大いに任せるべきで、
TOPのすべきことは、
その方針とプロセスをチェックし、
問題に対してアドバイスをする、そして、トラブルに対して責任を取る、ということですが、
その前提として、
そのようなことが実現できるには、
組織としてのビジョン、方向性が共有されており、
かつ、上と下の信頼関係が構築されているとき、ということが必要になると思います。
それらをなしに、この言葉をうのみにすると、
めちゃくちゃなことになることが多いと思います。


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