日本固有の思想 [講孟余話]

講孟余話 第2巻 梁恵王 下 8章

この章では、
王朝の交替について論じています。
簡単にいえば、
孟子は、たとえ今の王であっても、
仁を失えば賊であり、
義を失わば残であり、
王が残賊であるならば、
天がこの世に使わしたものが、
王になり替わるべき、という放伐思想を肯定しています。

そして、吉田松陰は、この章の解説で、
中国の思想ではそうだが、
日本では、天孫である天皇一族が存在する国であり、
中国でいう王、は、征夷大将軍に当たり、
天意はすなわち、天皇からの勅命であり、
征夷大将軍が用をなさないならば、
勅命のもと、打倒していかねばならない、として、
倒幕思想の礎としています。

つまり、この点の考え方は、
天皇という存在により、
日本と中国では、大きく違う、ということを定義しています。

中国のこの放伐思想は、
とても近代的であり、
現在の民主主義につながるところもあり、
現代のわれわれには、「当たり前」に感じ、
日本的な考え、というのはしっくりこない感じがします。

しかし、
日本は、明確には鎌倉期から、
実質的には平安時代から、
外戚である藤原氏、次に平氏、
そして武士の幕府、
そして維新以降は政府、
と、かれこれ1000年以上にわたり、
天皇と、実質的な為政者、との二重権力的状態が続いています。
権威と権力の分離、といっていいでしょうか。

こういうめんどくさいう状態、というのは、
東洋にも西洋にも、
なかなかない、
特に、それが国体として当たり前になっている、
というのは、たぶんほかにないのだと思います。


そして、好きであれ、嫌いであれ、
いかに戦後のGHQの支配下において、
このような日本的な権威と権利の構造を強く否定しようとも、
(それが、戦争を招き、悲惨な状態を招いた、と”勝手に”決めつけた)
今の私たちの思想、生活習慣、慣習に、
たくさん色濃く残っているのだと思うのです。

具体的に言えないのですが、
それを、否定し、なくしていってはいけないのだと思います。
そして、それを、否定し、なくそうとしているのが、
戦後のGHQ支配時代の、
最大の目標であった、と私は思っています。

今は、まさに、その時代の彼らの考え、というのは結実しつつある、のではないでしょうか。

それではいけない、
日本固有の思想、考え方、というものを、
しっかりと今の時代に進化させたものにし、
日本人に定着させていかなくてはいけない、
そう強く思います。


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