北朝鮮を考える [講孟余話]

(この話も原稿作成時と今で状況が違うことをお断りします)

講孟余話 第2巻 梁恵王 下 3章

この章の話は、現在の日本を取り巻く国際関係を考えるのに好題材ではないかと思います。
斉の王が孟子に、「隣国と交際するのに何か良い方法はないか」と問います。

それに対して、孟子は、
「こちらが大国で、隣国が小国ならば侮らずに礼を厚くして交際する。
 これはただ仁者だけができることである。
 こちらが小国ならば、反対に、
 圧迫されてもよくこらえて大国につかえて安全を図ることが肝心で、
 それは智者だけができることである」
といっています。

松陰はさっ記においては、
「隣国と交際するは親睦するということを基本とする。
 力と徳と義、この3者が自国よりすぐれている国に対しては、
 もちろん仕えねばならない。
 また、隣国がその力をたのみとしてわがままにふるまっているとしても、
 なるべくは寛大に取り合って戦争はせぬようにすべきである。
 もし隣国が小国である場合は、愛護して
 その国が他国から侵されぬようにしてやるべきである」
と記しています。

そのような対応を続けながら、
真に国民を守るため、あるいは、隣国を守らねばならないときは、
大勇を奮い人民を安んじることに断固たる力を発揮する、としています。

どこが大国でどこが小国、という議論は今はしないとして、
この物差しを対北朝鮮、という国にのみ当てて考えてみると、
北朝鮮という国が、その軍備、経済力、民力とも、
一人一人はともあれ、国家としてみた場合、
現在は日本のほうが大国、といって差し支えないでしょう。一般的に。
それでありながら、
現在、私たちは拉致問題も然り、核の問題も然り、最近ではミサイルの発射云々の問題など、
北朝鮮が巻き起こす問題に右往左往している感があります。
それは、いずれも北朝鮮の彼らの事情の苦しさが生み出す問題でしょう。
それに対して、私たちは、
どれだけの「礼を厚くして、侮らず、愛護する気持で」接しているか。

もちろん、拉致問題などにおいては、
その被害にあわれた方お一人お一人の受けた被害を考えれば、
北朝鮮は犯罪者、として扱われて当然でしょう。
しかし、
その問題を追及することと、
国家としての対応の大方針、は別な次元であろう、と思います。

窮鼠は猫を噛みます。
今、北朝鮮を取り巻く各国が、
同じように彼らを敵視することを続けるならば、
最後には必ず内乱か、外へ向けて暴発することは、
必定でしょう。
国内で深刻な飢饉や、天災、などが起こる、などが引き金になりそうな気がします。
国家同士の対応は、
個別の問題で憎しみを抱えていたとしても、
国という人格では、
我々が彼らよりもはるかに大きな力を持つ以上、
礼といつくしみをもって対応すべき、
そういう輪を広めることが、
最終的に、北朝鮮の内部からの改革を促していく、と信じます。
それが力を持つ国の対応であろう、と。


蛇足になりますが、
拉致問題を取り上げ始め、そしてあるいみ世論をたきつけてきた朝日新聞は、
40年以上前、
北朝鮮を「楽園」として取り上げ、当国への出国の世論を喚起した「張本人」であることを、
これは、「ごく個人的」な憤りをもって記載します。
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