屈伸の利 [講孟余話]

講孟余話 第1巻 梁恵王 上 5章

この章の松陰のさっ記は、名解説です。
孟子本文では、
梁の王の国が、もともとは大きかったのが、
今は列強に侵され小国になってしまい、
さらに、大国から侵略されかかっている状況に対して、
孟子は、ただただ仁政を行いなさい、といい、
その仁政の中身を説明しています。
その中身、というのは別に奇をてらったものでなく、
刑罰を軽くし、税金を少なくし、農業を振興し、
教育を厚くし、家庭では父母によく使えさせ、社会では目上に敬意をもってつかえる、
といったことです。

今まさに他国から攻められん、としている小国の王に、
このことを「疑うなかれ」といって結んでいます。

梁の王はもともと愚昧なほうでしたので、
とてもそれを受け入れることはできなかったでしょう。

仁政が大事なことは百も承知だが、
明日にも攻められ亡国するかもしれない、
という時に、ただただ仁政を引け、といわれても、
たいがいのTOPは受け入れられないでしょう。
企業経営でいえば、
すぐにも資金繰りが枯渇しそうな経営者に、
社員を咎めるな、査定・昇給はしっかり行え、本業・本分・理念を大事にしろ、
社員教育を徹底しろ、組織風土の強化に努めよ、
というような内容です。
大体の場合が、
孟子でいえば、「人民をこき使い」というように、
社員のせいにし、昇給・査定はなどはなくなり、目先の利益にこだわり、
社員教育は打ち捨てられ、組織は退廃していく、
ということになってしまいます。

しかし、わかっていてもできない、わかっていも、
今目の前にある危機に対しての即効薬以外考えられなくなってしまう、
のが多くの人ではないでしょうか。


松陰のさっ記を読むと、それは、要は、
「わかっていない」ということになります。
つまり、そのような時にこそ、仁政が一番の薬なのだ、ということの、
「事実」と「理論」を理解していないから、
「わかってはいるけど。。それは理想論。今は急場」というような話になります。

このことを、松陰は明快にさっ記において解説しています。

仁政を行うことの中身を上記孟子の内容に沿い解説した後、
有事の際にはこう号令をかける、といっています。
「私は国民を愛育しようと思っていた。
 しかし、隣国から迫られ、かえって国民を苦悩させることになってしまった。
 哀痛の情に堪えない。
 国民は心のままに降伏して生命を全うせよ。
 私はこの国の君主である。
 一死をもって国家と運命を共にすることあるのみ。
 寸歩も退避しようと思わぬ」
と。幕末に生きた松陰の危機感が伝わってきます。
そのあとに、実際の事例として、燕の国、斉の国での実例を持ち出し、
いかに一時の力が強くとも、
最後は、祖先以来久しくその国を仁政をもって統治し、
民心を得ること深かった人の手に国が帰ることを説明しています。

そのあとの、兵法上からの説明が興味深いです。
松陰は、「屈伸の利」という言葉でこのことを説明しています。
一時味方の勢いを屈しておいて、機を待つことと、
機を得るや一気に力を持って目的を達成することは、
まさに、内側に絶対の結束がなければできず、
それは、仁政による力以外ありえない、と結論付けています。
装備を拡大し、国境には城壁を築き備えを厚くする、
これは「伸」であり、より強い力を生み出すのは「屈」の状態に力をため込むことである、
といっています。

そして最後に、このようなことを実現するには、
「大決断」「大堅忍」が必要であるとしています。
絶対にやりきる、力のない人間でなければ、
初めにちょこっとこの策を行い、途中でやめてしまう時は、
その害は表現しきれないほど大きい、としています。
故に、孟子は最後に「疑うなかれ」と結んでいる、と。


このことは、経済においても、
幕末に、山田方谷がまさに実践しています。
彼の理財論、もまさにこの考えを根本においていると思われます。


我々現在の資本主義社会に生きる人間にとり、
このことは、より一層困難な時代であるといわざるを得ないでしょう。
特に、経済活動においては、
株主が営利主義である限り、
株式会社はこのような政策はよほどの理解がなければ断行できません。
しかしながら、
古来、それも大古来から、
このことが理であることを思い出す時期に来ているように思います。


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