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義を図り利を図らず [講孟余話]

講孟余話 第1巻 梁恵王 上 1章

この第1章はまさに現下の経済問題に大きな一石を投じていると思います。
孟子が梁の恵王に召されてはじめ、王から、
「どうすれば、我が国に利益をもたらせるか」
と質問をし、孟子は、
「利(利益、富国強兵)は、仁義を道理をもって行った結果として表れるものです。」
と答えています。

まだ、吉田松陰はさっ記にて、
「道理を目標として実行すれば、効果は期待せずとも自然に至るものであり、
 効果ばかりを目標として実行すれば、道理を失うに至ることが少なくない。
 その上、効果を目標として実行するときには、
 万事がみな間に合わせ仕事となってしまって、
 完全に成し遂げられることは少ないものである。
 よしんば、少しばかり成し遂げることができたとしても、
 それを永久に守るということは保証しかねる。
 永久に維持することができるという良い方法(道理を目標とした行動)を捨てて、
 目の前だけの手近な効果を狙うならば、
 その弊害は言葉には言い表せぬほどである」
と解説しています。

利益や効率、あるいは効能の追求ばかりをしていては、
「間に合わせ仕事」や
「完全に成し遂げられない」
あるいは、
「持続しない」
という弊害が現れ、
結果として「道理を失い」、そして、しかるべくして利益や効率、効能を失う、
ということになる、と言えるかと思います。


私の前職での最後の仕事は、
保険業界での新規事業でした。
現下の保険業界というのは、きわめて顧客満足度の低い業界であり、
(国民の90%弱が加入しているのですが、その契約者の80%弱が満足していない)
それは、保険サービスの提供者、
つまり、保険会社と代理店のサービスの提供体制に問題がある、と考え、
その、特に、契約後のアフターフォローについて、
店舗を持ち、セールスレディーではない、サービスに特化した人員を配置し、
契約から、保険金を受け取るまでを、
組織とシステムでサービスをしていこう、という事業でした。

掲げる志と、提供するサービスは大変支持され、
200近い代理店が1年前後集まり、
1年間で100以上の店舗が出店しました。

しかし、当社の親会社が一昨年夏場より極度の経営不振となり、
まだ立ち上げて1年強の子会社は収益化するまでしばしの時間がかかる状態で、
その資金は親会社からの融資に依存していたわけですが、
親会社の極度の経営不振は、現状を維持できない状況となり、
早くも組織と機能のスリム化をし、
人員削減を実施していかなければならない状況となりました。

その際に、会社が採用した施策が、
代理店に提供するサービスセンターを廃止する、というものでした。
保険契約から、契約後のサポート、事務全般、問い合わせ全般、給付金サポート、
などを行うサービスセンターが、
立ち上げてまだ半年でしたが、
保険会社のコールセンター以上の機能を持つ部門であり、
(世の中ではじめての取り組みでしたので)
コストセンターとなっていました。立ち上げまでに2年程度を見た計画でしたので。
このサービスセンターをあえなくやめて、
大幅に人員を削減する、ということでした。

このサービスセンターとシステムがないと、
この事業に取り組んでいる代理店さんは、
ただ単なるこれまでの保険代理店、と同じ、ということになります。
社内では現場サイドから大きな反対が起きました。
しかし、当時親会社から来たばかりの役員の担当部署が、
店舗の売上改善指導をするSV部の部長でしたので、
SVが指導して、売上を上げれば、それで代理店は満足するので、
サービスセンターはいらない、という選択をしました。

これを無理に断行したため、
確かに月間のコストは削減されましたが、
一気に11月から代理店さんは、
「単なる代理店ならやる必要はない」
とどんどん脱退をしていきました。
会社では、「売上が上がれば代理店は喜ぶ」と、
売上をあげる方法と施策を頑張って提供していきましたが、
それは、どこの保険会社も代理店もやっていることです。
そもそもの、初めの志し、が違うところにありましたので、
それに賛同した事業に参加した方からすると、
その志を捨ててしまった本部会社と一緒にやっていく価値がない、ということになります。

代理店が離れ、そのような状況を見た提携していた保険会社も離れ、
もともともの会社の人員をどんどん削り、
事業に思いはないが役員の言うことを聞く親会社のメンバーを増やし、
それにより、創設以来支えてきたメンバーが12,1月でどんどんと辞めていきました。

結果、1月に保険会社との衝突があり、この2月でこの事業をやめなければならない、
社員を全員解雇しなければならない、ということになりました。

いうまでもなく、
短期的な生き残り、という利にとらわれ、
安易にこの事業の持つ本質、この事業この事業たる道、を捨てたことにより、
内から外から信を失った、という例です。

義を図り、利を図らず、といったのは、
備中松山藩の財政の大改革を成し遂げた山田方谷です。


現在の経済システムで尊重されてきたのは、
コミットメントを確実に達成すること、
社会に約したことを実現すること、です。
しかし、そのコミットメントは、
多くの場合が「利益目標」であります。
それは、株主やステークホルダー求めるものが、そこにあるからです。
(特に投資家を中心として株主の影響が多いと思います。)

しかし、その個々の利益目標が効果的に達成されればされるほど、
逆にひずみと不合理が蓄積されていった、
つまり、利益目標をみんなが達成していくことが、
経済システムの良化につながっていかない、ということが証明されたのが、
今回の金融危機に端を発する経済リセッションであると思います。


企業は企業として生きるべき道、仁義を明確にし、
その道、仁義をステークホルダーに対して開示し、問いかける。
それが、これからのグローバル社会の発展、調和に対して、義を成すものなのか、
あるいは、ただ自分たちが利を得るだけのものなのか、
それを重要な投資や保護の対象としていく、
そして、その実行を監査役や監査会社、ならびにステークホルダーが監視をしていく、
その結果としての利益・収益の予測値を掲げていく。
国もそうであり、地方公共団体もしかりかと思います。

そのためには、
国は国としての道を示し、
地方公共団体は地方公共団体としての道を示し、
企業は企業としての道を示し、
組織は組織としての道を示し、
人は人としての道を示す。
その道、道義、を、
日本という視点だけでなく、
世界、という視点で真剣に検討していく、
追及していく、という作業は、
今まさに、重要なテーマではないでしょうか。

孟子はこの章の最後に興味深い言葉を発しています。

「もしも、義理を後回しにして、利益を真っ先に図るとするならば、
 配下の人々は、主君の財産を奪い取らねば飽き足らない、ということになります」

これは、今の社会に対して、経済に対しての、
大きな大きな警鐘ではないか、と思います。
つまり、このまま利益の拡大の追求を優先するならば、
必ず、組織の中、会社の中、国の中、そしてグローバルな中で、
「より利益を得るにはさらに大きな利益を上げているところから奪うしかない」
という発想です。
この発想の行き着くところは、紛争・戦争、ということになろうかと思います。

そうならないために、経済思想の転換、をベースにした、
グローバル経済の仕組みや発想の変化、というものがいま求められていると思います。


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講孟余話  ~初めに~ [講孟余話]

講孟余話  ~初めに~

吉田松陰が「講孟さっ記」を記載してから、
155年がたちます。
そして、昨年は松陰没後150周年になります。

さっ記の最終章で、松陰は、
幽囚の身であるとはいえ、
自身が道統守持の大任を担い、
志士に、後世に伝えることの責務から逃れることはできない、
といっております。

今回、多少の契機があり、
この書に触れ、彼の気概に触れた今、
私自身も、
彼がしたのと同様に、
孟子を現代に即して、
松陰のさっ記を大いに頼りにしながら、
少しづつ解読していく、
という試みをしたいと思います。

それが、まずは、
自分自身の修身のために、
今最大のテーマではないか、と思います。


現代においては、
自立、自発性、自主性などが、
その教育において重要視されています。
夢を持ち、そして、その夢に向かって主体的に生きること、
これが、成功することの大原則、とされています。

今回の取り組みは、
このことに対しての、問題提起を目的としています。
私自身が感じている問題意識を、
孟子と松陰の言葉を借りながら、
明確にしていきたいと思います。


小さな町で、
たとえば10人の人が、「ケーキ屋になりたい」という夢を持ったとしても、
その町に必要なケーキ屋は1軒しかなければ、
ケーキ屋になれる人は一人しかない。
では、それでケーキ屋になれない人は、落ちこぼれか、
といえば、現実もそうでないし、道義的にもそうではないはずです。
さらに、
現在の経済環境、金融危機に端を発する世界同時不況と呼ぶべき状況は、
企業、株主、国、などが、
自らのコミットメントのために、
最善の努力と効力を積み重ねてきた結果の不調和、
であると理解できます。

人が生きていく、には、
自分がなしたいと思うことを成す、
という以上に、
大事な、守るべきもの、が必ずあります。
その人間としての守り、保持し、後世へ伝えていく人としての道、を考えることは、
今後の日本、ならびに世界の在り方、
そして、その中で動く企業の在り方を考えるにあたって、
十分に有意義なことであり、
その裏付けをもった、教育がなされていくべきである、と感じています。
それが、新しいグローバルの在り方に、
大きな布石になるのではないか、
私たちの国体が育んできた、人としての生きる道、が、
もしかしたら、新しいグローバルスタンダードの大きなくさびになるのではないか、
そんなことを考えています。


しばしのライフワーク、として時間を見つけて研究していきたいと思います。


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