千里の志 [講孟余話]

講孟余話 第2巻 梁恵王 下 11章

この章は、斉の王が燕を討ったら、諸国が大挙して燕を助けようとしてきた、
それにどうしたよいだろう、
という問いに、

「捕らえた人を放ち、略奪した宝物を元に戻し、
 民衆と相談してその国にふさわしい君主を立てて、
 これまで燕の虐政とはまるで違う仁政をほどこしたならば、
 諸国は燕を助ける口実がなくなる」

といっています。

ただ、これは理想論で、実際は諸国の利害関係もあるわけですから、
起こしてしまったことへの対策、としては、
とても心もとないような気がします。

およそ、このような状態にさせないために、
もともと、燕の民衆に敵とされるような征服をしなければ、良かった、
ということをいっているようで、
王からすれば、「今更そんなこといわれても・・・」という気持ちを持つのではないかと思います。

松陰のさっ記では、
「未だ千里を持って人を恐れるものを聞かざるなり」
という点を取り上げ、
幕末の日本の状況を、
自らを大国と位置づけ、
諸外国からの圧力におどおどし続ける為政者を強烈に批判しています。

国の大小、会社の大小、など規模の尺度は、
比較のしようで変わります。
絶対的な大きさ、というものは判断しにくいところがあります。

しかし、自らを、「千里の志」「千里の思い」をもつものと規定するならば、
およそ一人の人間、小さな会社、小さな国、
でも同じことが言えるのだろうと思います。

自らの理性・思想の教育し、
外圧、外敵、障害にあたるにあたって、
このような気概をもって臨めば、
およそかなわぬ、ということはないのだ、と言うことだと思います。
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