ともに楽しむ [講孟余話]

講孟余話 第1巻 梁恵王 上 2章

この章においての、「楽しむ」ということについての解説は、
まさに、今の世において、組織を運営する、という立場の方にはぜひ知ってほしいところです。

王が孟子に、庭で遊ぶ小鹿や大鹿、魚などを見て、
「賢者もこれを見て楽しむのだろうか」
と孟子に聞くところから始まる章です。

孟子はそれに対して、周の文王(古代の名君)を引き合いに出し、
以下のような解説をします。松陰のさっ記から引用。

「周の文王は、その御苑のうちの、台地や鳥獣を楽しんだのではなく、
 民衆がそれをつくることを楽しむのを見て、楽しんだのである。
 民衆の楽しみもまた、御苑の台地や鳥獣を楽しんだのではなく、
 文王の楽しんでおられるのを楽しんだのである。
 かくして、王は民衆の、民衆は王の楽しみを互いに楽しんだのである」

これを、松陰は「ともに楽しむ」と述べています。

これに対して、同じく古代の暴君の一人である、夏の桀王を引き合いにして、その民衆の声として、

「この太陽はいったいいつ滅びるのだろう。
 その時が来るならば、自分も一緒に死んだとしてもかまわない、
 といって呪ったとあります」

この夏の桀王の楽しみ方は、
台地や鳥獣そのもの、を楽しんだのであり、
民衆と楽しむのでなく、一人楽しんだ、ということになります。


現代は個性や個を尊重する時代です。
そして、個の自由が尊重される時代です。
どうしても、その楽しみ方、も、
「一人楽しむ」ことが多くなっているように思います。
最たるものはTVゲームやインターネットでしょうか。
もちろん、いつの時代も、
お酒を飲むのも、おいしいものを食べるのもあり、
一人楽しむ、というものはたくさんあるのですが、
それだけをむさぼっていては、桀の仲間になってしまう。
特に、個での楽しみ方が増えている今の時代であるからこそ、
仕事や学校などの集団での場を通して、
「ともに楽しむ」という経験を提供することが重要に思います。

一人楽しむことが多くなっている今だからこそ、
組織を運営するに当たっては、独善的な思考にある人がおおいのだ、
ということを前提に考える必要があると思います。
そして、そうであるからこそ、
上司は、部下が成果を上げたり成長をする、その姿を楽しみ、
部下は、上司がそのために苦心し、手助けし、励ましてくれる、そのことを楽しむ。
そうなることにより、
組織としての一体感が強まる、
というよりは、
独楽が強まっているからこそ、
意図して組織を強くし機能させるには、
「ともに楽しむ」という組織運営が不可欠のように思います。


学校教育、そして、家庭・家族において、
このような姿が一番強く求められる、のはいうまでもありません。


また、夏の桀王の姿を見て、
組織の上に立つ人間は、
自分が、いい車に乗り、大きな家を持ち、高い食事をし、いい服を着る、毎晩接待で飲みまわる、などなど、
「だけ」を楽しみとしていないか、是非自問いただきたい。
そのような人間には、組織の長たる資格は一切ないということです。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。